キリギリスの災難

文:重藤貴志[Signature]

『イソップ寓話』の中に「アリとキリギリス」という一篇がある。
あまりにも有名な物語だが、そもそも冬に飢えるのはキリギリスではないそうだ。
インターネットで調べ物をしている最中に脱線して、その驚くべき事実を知った。

紀元前から広く民間で伝承されてきた寓話が収集・編纂されたものだけに、
数多くの類型があるのは想像に難くないが、キャスティングの変更は大問題だ。

もっとも原型に近いとされるものは、キリギリスの代わりにセミが出てくるが、
彼らはバイオリンを弾くのではなく「夏の間は歌っていた」ために飢えてしまい、
頼みのアリたちから「冬の間は踊って過ごせばいい」と嘲笑されることになる。

もう一つは、どうしてなのか、フンコロガシがキャスティングされたパターンで、
こちらは冬の長雨で食糧となる糞が流されてしまい、苦しむ姿を罵倒されている。

フンコロガシはさておき、セミからキリギリスへ変更された経緯が大変興味深い。
この寓話が人から人へ伝えられていき、ギリシャからアルプス山脈を越えるとき、
ヨーロッパ北部ではセミがマイナーな昆虫だから翻案されたのでは…というのだ。
その説が真実だとすれば、代役に据えられたキリギリスこそ、いい迷惑である。

しかし、今の時代、インターネットによって世界の大半は強引に接続され、
こうした形での伝播は、ほとんど起こらなくなってしまったような気がする。
大袈裟にいえば、人類は何か大切なものを失ってしまったのかもしれない。

後世の人々から見て、現代に生きる私たちは、どのように見えるのだろう。
セミやキリギリス、あるいはフンコロガシだったら、さすがに悲しくなる。
本当にやらなければいけないことから目を背けず、真っ直ぐに歩いていきたい。