料理歳時記

文:曽根雅典[三軒茶屋nicolas] 絵:佐々木裕

「秋のサワラも結構おいしいのだが、一般の人はなまじっか、鰆という漢字を知っているために、秋のサワラには気分的になじめないのだ。鰆という文字から受ける印象が先入感となって、秋のサワラを受けつけないのは困ったことである。」

柳原敏雄さんの「魚介歳時記」で、さわらについて書かれているこの一文に、はっとしました。

鰆の季語は春ですが、旬は、関東と関西では違うようです。関東では冬から初春の寒鰆、関西では春告魚で春。季語は旧暦なので、季語の春と実際の春のあいだには、そもそもずれがあるのは承知の上なのですが、食材の“はしり”の時期はどんどん早くなり、“なごり”の時期もどんどん遅くなっているので、旬というものがいったい何なのかわからなくなってきます。

鰆は出世魚です。成長して、サイズが大きくなるにつれて名前が変わる魚です。
村上春樹さんの小説で、サワラという名前の猫が出てくる小説があるのですが、そういえばこの猫も名前が変わります。出世猫ですね。村上春樹さんは関西出身で、小説の舞台は東京、サワラの旬をどちらにするかで迷ったりしたのでしょうか。

僕は、鰆は1月から3月にかけてよくつかいます。ちょうど同じころに旬を迎えている、菜の花と、和柑橘の皮をあわせてパスタにするのが毎年恒例で、鰆と菜の花のパスタをはじめると、ああ、年が明けたな、春だな、と感じます。菜の花にしても、食材としての旬と、花としての旬は違います。

名前に季節が入ってるというのは、どんな気持ちなのでしょうか。鰆、菜花、春樹。その名によって持たれるイメージが、しっくりくるときもあるでしょうし、しっくりこないときもあるでしょう。
季節を感じることは素晴らしいことで、もちろんそれに異論はないのですが、イメージに引き摺られて、なにかを見落としていることもある、のかもしれません。
今年の秋は、鰆を食べてみよう。