料理歳時記

文:曽根雅典[三軒茶屋nicolas] 絵:佐々木裕

小さい頃、実家の駐車場の裏に杏の木が植わっていました。夏になって杏が実をつけると、夜寝ているときに、杏が駐車場のトタンの屋根の上に落ちる音がして、屋根を転がり地面に落ちる音がしました。その杏を、祖父が茣蓙の上に半割にして並べて干していました。わたしは、干されている杏の蒸れた甘いにおいが苦手で、いつも遠巻きに眺めていました。30年以上前の話です。

その頃、わたしの実家には風呂がなく、隣りにある祖父の家まで風呂に入りにいっていました。駐車場はちょうどその間にあり、風呂上がりの暗くなった夏の夜道に、熟れて木から落ちた杏が転がっていました。誤って踏みつけた熟れた杏の感触がサンダル越しに足の裏につたわり、せっかくきれいにしたからだが穢れるような、そして、なにかとても悪いことをしてしまったような気持ちになりました。日中、熟れて潰れた杏には、いつも虫がたかっていました。
ほどなくしてわたしの家にも風呂ができ、毎日祖父の家に行くこともなくなり、杏を踏みつけることもなくなりました。わたしは18で上京し、20になった頃、祖父が亡くなりました。
翌年の夏、母から電話があり、「裏の杏の木を切ることにした。最後に杏のジャムをつくってみようと思うから、ジャムの煮方を教えてくれ」という用件でした。製菓学校を出たばかりのわたしは、得意になってジャムの作り方を教えたような気がします。すっかり忘れていた、祖父の干し杏のことを思い出しました。思い出した祖父は、麦藁帽子を被っていました。

母のつくった杏のジャムを食べたのかどうか、おそらく食べたのだと思いますが、その味を覚えていません。祖父の干し杏も食べたのかどうか、おそらく食べたのだと思いますが、幼いわたしはその味を好まなかったように思います。
祖父の家には胡桃の木も植わっていて、固い殻を踵で踏み潰し、生のままよく食べました。胡桃は好きでした。踏み潰しても食べたいくらいに。

杏の思い出は夜。今、杏は好きです。それは、杏への罪を償うような思い。