厨房へ入り浸る

文:重藤貴志[Signature]

下手の横好きだが、自分で料理をするのは苦にならない。
ベースになっているのは、何と言っても母のつくる食事である。

「家事は嫌い、料理は面倒」と笑いながら公言する母だが、
いつもその手際は魔法のようで、食卓には多くの皿が並ぶ。

「この美味しいおかずは、どうやってつくられるのだろう?」
それが料理に興味を持つようになったきっかけだったと思う。
母と並んで台所に立つことに気恥ずかしさを感じる時期もあったが、
機会を見つけては包丁を握り、嬉々としてフライパンを振っていた。

もちろん、食べることが好きでも、料理を好きになるとは限らない。
一人暮らしだった大学時代は、自炊を面倒に感じたときもあった。
だが、浮き沈みがあっても、料理から完全に離れることはなかった。

やはり、それは料理が性に合っていたからだと思う。
完成形をイメージして材料を揃え、さまざまな方法で仕上げていく。
食べてしまうと跡形もなく消えてしまう点も悪くない。

「料理」とは「理を料る」ことだと喝破したのは北大路魯山人だったか。
あまりにも理屈っぽいのは閉口だが、美味しいにこしたことはない。
そんなことを思いながら、今日も台所に立っている。