日常に美しさを

文:重藤貴志[Signature]

日常の品としてつくられたものが芸術として評価されることがある。
たとえば、気の遠くなるような精緻な細工が施されている壺や皿。
熟練の職人たちによる作業の積み重ねが、それを見る者の感動を生む。

インドネシア語で「芸術」に相当する言葉は“seni”というそうだが、
これはもともと「細かい」という意味だったと聞き、面白いと思った。
芸術という概念がないのだから、きっと芸術家もいなかったのだろう。

多くの寺院があることから「神々が宿る島」ともいわれるバリでは、
この島に独特の信仰体系“バリ・ヒンドゥー”が深く息づいており、
仏教とヒンドゥー、土着の宗教の神々がいたるところに存在している。

当然、絵画や彫刻、歌唱や舞踊など、すべてがその影響下にあったが、
いずれも芸術ではなく、神々へ捧げる祈りであり、暮らしの一部だった。
良くも悪くも、それらがアートとして評価されていくようになったのは、
ヴァルター・シュピースによる1930年代の“バリ・ルネサンス”からだ。

日本では1925年から柳宗悦が民衆の暮らしのなかから生まれた美の世界を
“民藝”と定義し、新たな価値観で日常の美を再評価する運動が起こった。
インドネシアのそれとは意味合いが異なるが、時期が重なる点が興味深い。

何に美しさを見出し、価値を置くべきか。
それは生き方と密接に関わっているような気がする。