料理歳時記

文:曽根雅典[三軒茶屋nicolas] 絵:佐々木裕

桃(白桃)
「あたしはやたらにおつゆをこぼした。お皿の上だけにじゃなく、服にもいっぱいこぼした。桃のおつゆって、洗濯してもとれないんだよね、と思いながら、あたしはかまわずこぼしつづけた。顎から喉から首の下の方まで、べたべたになった。」
桃、で思い出す物語はいくつかありますが、とりわけ川上弘美さんの「桃サンド」が強く印象に残っています。

桃(白桃)の季語は初秋です。秋の初めというよりは、まだ夏が残っている時期、という言い方がしっくりくるような気がします。桃の果実は、終わった夏の恋や性愛の象徴のような気がして、初夏から出回る桃を食べても、そういう色っぽさは感じません。どんなにおつゆがしたたっても、そこに色気を纏うようになるのは夏の終わりころ。

お盆が明けるころになると、川中島の白桃が旬を迎えます。川中島の白桃は、しゃりしゃりしていて輪郭がくっきりしています。完熟しても、固いままです。その川中島白桃を、地鶏のスモークと合わせてパスタにします。皮ごとざっくりカットした桃を、仕上げにさっと和えます。熱が入るとより香りが立ちますし、桃は、皮がいちばん香ります。その舌ざわりは、舌のようにあたたかい。

柔らかく熟れて果汁を滴らせる艶っぽさだけが、色香ではないでしょう。固いまま香りを放つ凜とした姿は、抑えても溢れる自らを自覚して、調節されています。あけすけでない桃の術中に、紫煙とともに、嵌まっていきます。