3月11日 こちらは無事です

文と音楽:田辺マモル

このダラダラと長い歌は、自分のTwitterのつぶやきを歌にしたものです。

2011年3月11日の大きな地震のとき、携帯電話もつながらなくなったので自分の安否をとりあえず伝えるために「こちらは無事です」と、一言だけツイートしました。

地震の瞬間は、家の近所のボールプールがあるような有料の子どもの遊び場で、友だち親子と8人ぐらいで遊んでいました。古い建物の4階だったので、天井が崩れ落ちて来そうでとっても怖かったです。そのちょっと前にニュージーランドで大地震があって、ビルが崩壊して犠牲者がたくさん出たという映像を見ていたので、それが脳裏をよぎりました。子どもたちは幼稚園に入る目前の年齢からベビーカーの赤ちゃんまでいたので、外に逃げようにも逃げられず、テーブルの下に隠れて、揺れがおさまるのを待ちました。

揺れがようやくおさまって、停まっているエスカレーターをみんなでソロソロと降りて、近所の公園に避難しました。近くにはスポーツクラブがあって、競泳用の水着にキャップをかぶったまま、バスタオルだけを体に巻いて寒そうにしている、高齢のおばさんやおじさんたちもいました。そこから、

3月11日

田辺マモル@tanabemamoru

こちらは無事です

posted at 15:28:10

と、ツイートしました。

そのあとしばらくは気持ちに余裕もなかったし、無駄にタイムラインを埋めてはいけないような気がして、何も書かなかったんですけど、一週間ぐらいが経った頃だったかな、近所の友だちの家に遊びに行ったことがありました。テレビやインターネットの一部では盛んに放射能の恐ろしさを伝えていて、僕も怯えていたところがあったんですけど、そのお宅では普通にベランダでふとんを干していて(笑)、それを見てなんだかすごくホッとした気持ちになったんですよね。もう戻れないんじゃないかと思った震災前の日常が、ここにあったって感じで。それで、

3月17日

田辺マモル@tanabemamoru

今日は近所の友だち母子んちに遊びに行った。ベランダにふとんを干していた。スーパーで我先に取り合っている現場は苦手で近づけないねと話した。親族を残しては遠くに行けないよとも話した。別の友だちは昨日福島から親戚9名を呼び寄せた。埼玉県南部の日常。

posted at 17:26:56

と、ツイートしました。

これを機に、今と比べるとずいぶん頻繁にツイートをしたように思います。僕だけじゃなく多くの人がそうだったかもしれませんが、何か言わなくてはいけないような気持ちになっていたんですかね。この世界の片隅で。

 
それらのツイートをなるべくそのまま、多少言葉を削ったり付け加えたり並べ替えたりはしたけれど、この歌を作りました。

3月11日 こちらは無事です

あれから一週間 友だちのうちに遊びに行くと
ベランダにふとんが 干してあった

「スーパーで奪い合うようなのは苦手だね」
「親を残しては遠くに行けないよ」
「tさんは福島の親戚を呼び寄せたらしい」
そんな話をした 埼玉南部の日常

3月19日 iちゃんが疎開した
(岡山の実家に身を寄せたってメールが届いた
 k君も明日 中国に帰るらしい)
入園式には また会えるだろうか
会えたらいいな 今日は牛乳が買えた

駅前の献血センターの立て看板
A型B型O型AB型すべてに
「安心」マークがついているのを初めて見た
今日は暖かい 桜に花が付いてた

夜には停電で真っ暗になった
僕にはギターを持って歌うことしか
できることが思いつかなかった
心に明かりともすために

3月21日 計画停電は
東京23区では実施しないという
原発を都会に作らなかったように

友達の叔母さんが遺体でみつかったらしい
一度も会ったことはないけど
パーソン・ファインダーに登録したその名前を
忘れずにいたい 石巻市のおばさん

弟のお嫁さんは妊娠三ヶ月
こんな時にと思うけれど こんな時だからこそ
来たる未来の救世主のひとりとして
生まれ来るのかも

4月16日 あれから一ヶ月
(オバケを見たと言って娘が寝起きによく泣く
 オバケなんていないから大丈夫だよと)
言いきかせながら放射能について思う
見えないものが怖いのは大人も同じ

大人のおびえが子どもに伝わって
悪い夢を見せているのかもしれないな
テレビで今 豆しばが言っていたよ
「もっとも幸せなのは何にも知らないことです」と

電気のある暮らしに飼いならされた僕は
トイレの便座が冷たいことすら忘れていて
停電が明ける度にひやっと驚いてしまうんだよ

ララララ…
変わるはずの毎日が
変わらないままに過ぎて行く

3月11日 こちらは無事です